スピリチュアル的にみた北陸・石川県【江戸から続く金沢の文化】
私は生まれも育ちも石川県です。
石川県と言えば兼六園のある金沢を連想する人が多いのはもちろですが、石川県は南北に伸びていて地域によって人間性に特色があります。
それはどの都道府県でも同じだとは思いますが、石川県全体としてもある雰囲気があります。
それは「陰と陽」でいえば「陰」のエネルギーのように感じ、私的には同調圧力のようなものが強いように思っています。私は性格的にあまり「陰」を気にしないのですが、多くのひとは周りの目を気にしたり、自分がどう思っているのかを強く意識します。
もし、それを気にせず自分勝手に生きれば、自分だけでなく家族のことまでも陰口を叩かれるといった地域もあるという話を聞いたことがあります。
どうも私は鈍感なようで昔からそのような雰囲気を感じていませんでしたが、スピリチュアルなど目に見えない世界を感じるようになるとそれを顕著に実感します。
とはいうものの、その根本的な原因は何なのでしょうか?
石川県の歴史
「やっぱり石川県ミンやな〜」というフレーズは誰でも一度は聞いたことがあると思います。
これは、ネガティブな言葉であり石川県民の独特な県民性を表現したものになります。
この他人の目を気にするという文化は、どうも江戸時代から来ているのではないかと考えます。
石川県、つまり加賀百万石には前田利家公が金沢城にいて江戸から遠く離れた地で権力を誇っていました。江戸幕府としては、いわゆる外様大名が地方で権力を拡大しないように参勤交代で資産を使わせ、コントロールしていました。
さらには、大名に不穏な動きがないかを、忍び(?)などに常にチェックさせていたと言われています。
その名残で、石川県や北陸には探偵事務所が多いそうです。
そう、江戸時代にあった「監視する」という文化が今なお根付いているのです。
その文化が子供から大人まで、いえ、死ぬまで監視され、そして、死んだあとも監視され続けています。
呪いの開放
なぜ、江戸時代の文化がいまだに残っているのかは分かりませんが、この閉塞感を不快に感じない者はいないはずで、これを「呪い」というのが正しいかどうか分かりませんが、石川という素晴らしい地がもっと開放的で光に満ち溢れたところになってほしいと思っています。
ただ、それは残念ながら時間が解決するものではなさそうです。
この「呪い」を生み出しているのが私たちひとりひとりの「念」であり、集合意識であるならば私たちひとりひとりが変わっていく必要があります。
21世紀は変化の時代で、踏みとどまっていると一瞬でまわりから取り残されてしまうことは言うまでもありません。
まずはそれに気付いて、ひとりがふたり、二人が四人とどんどん幸せの意識を拡大させることで、石川県は100倍パワーアップするはずです。
まずは、瞑想や占い、チャネリングなんでもよいので、純粋なエネルギーを感じてもらいたいと思います。