あなたは自分の人生を「自分のもの」にしていますか?

形而上学

自分の人生は、当然自分のもののはず。

しかし、本当に人生を自分のものにできているのでしょうか?
今回は、あらためて考えてもらえたら幸いだと思っています。

あなたは日本に生まれこのブログを見ているような人であれば、これまでそこそこの人生を過ごしてきたのではないかと思います。
しかし、「人生このままで良いいのだろうか?」という疑問も心の奥底にあるはずです。

これは「そこそこの人生」というところにポイントがあり、本当に自分の人生を過ごしてきたのであれば「最高の人生」になっているはずであり、そうでないのはどこか腑に落ちないところがあるからだと思います。

人生とは(人生観)

人生とは千差万別で、人それぞれさまざまです。
そして、「最高の人生」とひとくくりで言っても、バックグラウンドが違うので同じものはひとつとありません。

なので、自分の人生を他人と比べるのはナンセンスですが、なぜか気付くと自分の人生がまわりと同じようなレールの上に乗っていることに気づきます。

それは、社会が個々の人生がまわの人と同じようなレールに乗るようなシステムとなっているからで、それがいわゆる政府ということになります。

いまいちピンと来ない人もいるかもしれませんが、下記の項目にあてはまっていないかセルフチェクしてみて下さい。

  • ただレールの上を走る人生になっていないか?
  • やりたいことがあるのに我慢している人生ではないか?
  • 誰かのためだけに日々を過ごしていないか?
  • 「先の見える人生」になっていないか?

正直言って、以前の私はこのすべてに当てはまっていたように思います。
以前は公務員をやっていたので、それが顕著だったのかもしれませんが、今思うとすべてが我慢だったように思います。そして、定年後の自分の姿も想像でき、それは退職した人たちの生活を見れば一目瞭然であした。

世間一般ではそれを「安定」と呼ぶようですが、私は「安定のために生きる」というのに強い違和感を持つようになりました。

それは最初に言った「人生を自分のものにしているか?」という問いに対し、真逆のものだったからです。

ただ、ここで最初に陥ったのがニューエイジの罠で、「人生を自分のものにする」を「楽しいことだけして生きる」と解釈しようとしていたので、何か歯車が合いませんでした。

しかし、形而上学を知り自分がいったい何のために生まれ、どこから来たのかということを考えるようになると、自ずとその答えに気付くようになりました。気付くといってもすべて自分で気づいたのではなく、多くのサポートがあったからです。

たとえば過去には悟りを開いた人たちが多くいますが、ゼロから悟りを開いた人おらず、なんらかの教えをもとにそれを達成しています。つまり、人生が100年だったとしても、その100年たらずでゼロから悟りを開くなどという行為は無理で、先人たちの教えを学ぶことでそれを加速させることができるのです。

何を言いたいかというと、私たちにとっては今の社会構造が当たり前ですが、それは極近年につくられたものであって、人類史からみれば当たり前だとは決して言えないのです。

客観的に見ると私たちひとりひとりは社会の歯車になるように、幼い時から教育を受け、その歯車にならなければ不良品のレッテルを貼られることになります。しかし、本来は人生は人それぞれで評価を受けるもので、人の数分だけ人生スタイルがあってよいはずです。

歯車になることで「安定」という謎のご褒美が当たるのかもしれませんが、特に21世紀には安定というものはなくなると言われています。

たった一度の人生。
あなたが選択して生まれたこの世界。
人生を自分のものにしてください。

Life is mine

あなたの人生はあなただけのものです!