日々が楽しくない?毎日を楽しく生きることが正解?それとも違うのかを考えてみた…
何だかややこしい題名になりましたが、もう一度題名を繰り返すと
「日々が楽しくない?毎日を楽しく生きることが正解?それとも違うのかを考えてみた!」
です。
つまり、『楽しく生きよう』『人生を楽しもう』というポジティブ全開っぽくて、ついつい賛同したくなるこの言葉は本当に正しいのかを私なりに真剣に考えてみました。
ぶっちゃけ先にいうと…
結論から先に言うと「その人次第」です。
「楽しい」の反対語は「悲しみ・不幸・後悔」になりますが、さらにその奥には「他人との比較」が隠れている場合が多くあります。
人は基本的に誰かと自分を比較する生き物です。
そう言うと極端な人はまったく人との関わりを持たず「自分すらよければ良い」という発想になっちゃう人もいますが、これはこれでイケてないのは説明をするまでもありません。
「じゃあ、いったいどうすれば良いの!」と思われた方もいるかもしれませんが、どうするかを他人に聞いて答えをもらったとしても、それは「他人の時間を生きる」ことになってしまうだけです。
多くの人は自分らしく、楽しい人生を過ごしたいと思っているはずなのに、これって考えていることとやっていることが矛盾してはいないでしょうか?
何故答えを他人に聞いてしまうのか(?_?)
では、なぜそんな矛盾が起きるのかというと、それは自分の目的が明確になっていないからに他なりません。
例えて言うなら、「どこにいくのか自分でもわからないのに、他人に道を尋ねるようなもの」で、聞かれた方もそれでは答えに困ります。
こういうと多くの方は「何をしたくないか」は言えるものの、「本気で何がしたいか」は答えられません。つまり、なんとなく周りの雰囲気に任せて、ゴールがないフルマラソンのスタートをきろうとしているのです。
話をもう一度今回のお題にしっかり戻しますが「日々が楽しくない?毎日を楽しく生きることが正解?」という難題の答えは、『目的に沿った毎日を過ごしているか』『日々の行動にパッション(情熱)はあるのか』だと私は思います。
美味しいランチを食べたら幸せになるように、人は自分が本当にやりたいことに一心不乱に取り込むことで幸せを感じます。
そう。そうなったら必然的に毎日が楽しくなるはずです。
あなたの人生はあなただけのもの
冒頭に今回の答えは「その人次第」と書きましたが、例えばその目的が「苦行」で、それを望んでやっているのであれば、毎日は楽しくないけど満足感は得られると思います。
でも、逆に苦行なんかしたくない人にとっては、楽しいはずはありません。
つまり、自分の目的や目標を明確化し、それに向かって毎日を過ごすことができることこそ、本当に充実した日々であり、「毎日が楽しい」ということに繋がるのではないでしょうか?
(じゃあ、目的や目標はどうやって明確化するのかって聞かれそうですが、それはまた次回)