アスペルガー(ASD)な私が感じること

スピリチュアル 形而上学

アスペルガー症候群(ASD)という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
これは別名「自閉スペクトラム症」とも言われ、発達障がいの一つだとされています。

特徴としては、社会性・コミュニケーション・想像力・共感性・イメージすることの障がい、こだわりの強さ、感覚の過敏などがあります。

こだわりの強いところでみると自分自身も昔からASDっぽいかなと思っていましたが、さほど気にすることはなく人と関わることもさほど得意ではありませんが、苦でもないという状況でした。

しかし、先日、Voicyでイケハヤさんのラジオを聞いていたところ、イケハヤさんも感情が大きく揺さぶられるようなことがなく、自分自身がASDっぽいという話をされていました。

具体的にはオリンピックなどで歓喜する人の気持ちが全く分からないということで、これはオリンピックやスポーツ観戦好きの人には理解し難いと思いますが、私も子供のころからまったく感動することなどありませんでした。

それどころか、自分自身のことでもさほど心が動くことがなく、人からみると「冷静過ぎる」「感情がない」と言われることもしばしばありました。(それすらまったく気になりませんでしたけど(笑))

アスペルガー症候群は発達障がいの一つで、社会性・コミュニケーション・想像力・共感性・イメージすることの障がい、こだわりの強さ、感覚の過敏などを特徴とする、自閉症スペクトラム障がいのうち、知能や言語の遅れがないものをいいます。人間誰しも自閉症的な部分を多かれ少なかれ持っているのが普通で、程度の差だけが問題といえましょう。それゆえ「スペクトラム」障がいなのです。

ふせき診療クリニック

https://www.fuseki-clinic.com/column/asperger.html

共感が気付かされてくれる多くのこと

ただ、ASDのことを調べると完全に症状が一致しているわけではなかったので、微妙かとは思いますが、症状名はあまり関係はなく、とりあえず感情が表に出ません。

いや、あらためて考えると感情が表に出ないというか、内面的にも感情が動いていないのです。

私的には、それを恥ずるつもりなど全く無いし、逆にイケハヤさんのラジオを聞いて「それって自分だけじゃなかったんだ。(嬉しい)」という気持ちになりました。

そう考えると、このようなことで悩んでいる方ももしかしたらいるかもしれませんが、私はもともと消防士を20年やっていたので、悲惨な現場などでも感情が動かないで冷静な対応と判断だできていたのだと思います。

つまり、何を言いたいかというと、「餅は餅屋」「適材適所」という言葉があるように例えASDであってもそんなあなたを求めている職場や人は必ずあるということです。

他人との比較が自分を崩壊させる

よくやってしまう過ちが、ここで自分を他人と比較したり、他人の意見をそのまま取り入れることです。
あなたはあなたで、世界に一人だけの尊い存在なのに、あなた自身を他人と比較することなど全くの無意味であり、比較することでそんなスペシャルなあなたという存在が消えてしまうことになります。

極論ではありますが、法律やルールーなどは誰かが決めただけで、本来であればあなたの考えが一番正しいのです。ただ、皆がそんなことを言っていたら社会は崩壊してしまうので、ある程度のルールー決めは必要であり、それが法律だということになります。

もちろん法律は守る必要がありますが、大事なのはあなた自身という存在の意思とマインドをしっかりと持ったうえで法律を遵守するということです。

日本人は年々アイデンティティを失いつつあることは指摘されていますが、それは意思とマインドを無視して、まわりの情報にながされる生活を過ごしているからに他なりません。

例えば、アメリカやオーストラリアなどの多民族国家では、多くの人が自分のルーツを知ろうとします。

自分のDNAはいったいこの地球上の何処からきたのか、先祖の歴史と自分たちの未来はどうなるのか?

島国である日本にはあまりない感覚と言えますが、彼らと話すと「自分」というものをしっかりと持っているのに気付きます。
話すといっても私も英語は片言なので、それは言語で通じているのではなく感覚で理解できることだということになり口先ではないことになります。

自分が自分であるにはどうしたら良いか?自分とは何か?何処に向かうのか?
そんなことも真剣に考える時間があっても良いのではないでしょうか?